遵法精神

遵法精神って書こうと思ったら変換すると「順法精神」になるのですね。
何故かと思って調べて見たら、「遵法」の漢字は「順法」に代替されてとのこと。
「遵」は「規則に従う」という意味がある漢字ですから、「順」に置き換えてしまうと意味ないじゃないか!と思いました。

漢字の置き換えは戦後結構行われて、それによって意味が変わってしまったのもある訳です。
例えば「辯護士」「辨理士」の「弁」の字も元々異なるのですが、漢字を代替したことにより意味がなくなってしまった例。
これは意味が無くなっただけなのでまだましです。
しかし、意味が変わるものもあります。

例えば「障碍者」。
「碍」という漢字は元々は「礙」って漢字で、大きな石の前で動かせなくて悩んでいる様子を表すらしいのです。
それが転じて「妨げられる」意味になったそうですが、悪い意味のある漢字ではない訳です。
しかし、この漢字が「害」に置き換えられたのですが・・・「害」って漢字はほぼ良い意味が無い漢字です。
そうなると、漢字を置き換えるって、簡単に書けるようになる反面、弊害もあるのかなと。

と、遵法精神について書こうと思ったことがあったのですが・・・脱線して違うこと書いてしまいました