博打的要素
ちょっとコメントのご質問で気になった部分がありましたので、記事にしました。たまたま頂いているコメントから引用で申し訳無いのですが,一般論としても言えることだと思っています。
論文は書き方のパターンがありますが、短答には正誤判断のパターンがないというのが困りものだと感じました。なんとなく正しいとか、直感で誤りとか博打的要素にも磨きをかけないといけないかなと感じました。
論文ですが、基本パターンはありますが、必ずしもパターンで書けるという部分ではありません。正誤パターンがあるからという判断で考えてしまうと、結果として「記憶力が良い人」だけが受かる試験になります。
以前の日記にも書きましたが、受験生はどうしても金科玉条のルールに当てはめたくなるところがあると思います。しかし、中々そう単純にはいきません。
そもそも、弁理士試験合格後の実務では、案件を処理する上でパターン等有りません。Aという方法で請求項か作れる、Bという方法で商標の類否判断が出来るといった単純なものではありません。
結果として、弁理士に限らず法律家は総ての法律(内容)を覚えている訳では有りません。しかし、「妥当である」回答は導き出すことが出来ます。この妥当性を養うのが弁理士試験だと思っています。
短答試験の枝で「特許法であればどう考えるか妥当か」という力も養う試験だと考えています。その勉強を普段からすることにより、各法の妥当な結論を導けるようになり、安定して点数が取れると考えています。