交響曲の著作者

佐村河内守さんの楽曲が「本人が作曲していなかった」と報道されたニュース。
一番驚いたのは、真偽の程は解りませんが「本当は耳が聞こえているのでは?」とのこと。
いや、結構衝撃的なニュースでした。

さて、「全聾の作曲家」として作曲していた曲ですが、道義的な面や、他の法律のことは別として。
著作権法上は問題があるのか?という点だけ検討してみます。

まず、著作権者は誰かということ。

[asin:B0050NBGAU:detail]

著作者は、著作物に表示されている人が著作者として推定されます(著作権法14条)。
例え、違う人が作曲していても、「佐村河内守」と表示されている以上、佐村河内氏がとりあえず著作者となります。
これ自体は問題有りません。

次に、法14条は推定規定ですから、著作物を創作した人が新たに判明した場合、その人が著作者となります。
この場合、新垣氏が名乗り出ていますので、今後は新垣氏の著作物となります。

共同著作物か

まず、今回の楽曲が共同著作物に該当すれば、佐村河内氏と新垣氏の両方が著作権者になります。
共同著作物は、AさんとBさんとがいる場合に、創作した範囲を切り分ける事が出来ない著作物を言います。
例えば、普通の歌謡曲のように、作詞・作曲と切り分けられるものは「共同著作物」とは言いません。

佐村河内氏がどの程度関わっているか解りません。
ただ、曲イメージを伝えたり、出来た者に対して具体的なアドバイスをして修正をしているのであれば共同著作物に該当すると思われます。
この場合、2人とも著作者になります。

著作権が譲渡されているか

契約内容等により、新垣氏から佐村河内氏に著作権が譲渡されていれば、佐村河内氏が単独で著作権者となります。
ただ、譲渡できるのはいわゆる著作財産権だけであり、著作者人格権一身専属の権利であり譲渡出来ません。
この中で問題となるのは「氏名表示権」、「同一性保持権」です。
「同一性保持権」は、楽曲のタイトルを変えて発表していることが問題となります。
しかし、本件は当事者間で話し合いが出来ていそうですし、新垣氏も著作権を放棄すると主張しています。
著作権の放棄は日本では出来ないため、権利行使をしないという意味になるかと思います。
したがって、この点も問題とはならないでしょう。

ゴーストライター契約

ということで、著作権法上だけは、特に問題が無い事件です。
あくまで、「著作権法」という土俵の上だけで、その他の点では色々と問題があるかも知れません。

さて、ゴーストライターについては、「運命の顔事件」という判例があります(平成20年02月15日東京地判、平成18(ワ)15359)。
ゴーストライターである原告が訴えた事案です。
この中で、被告は「原告とゴーストライター契約を結んでいたため著作者ではない」という主張もしています。

被告の主張するゴーストライター契約とは、

ゴーストライター契約」とは,「ゴーストライター」となる者が著作の趣旨を心得つつ,執筆の労力の大半を引き受けながら,著作権は帰属しないことを承諾することを内容とする契約である。

とのことです。

ただ、この点について裁判所は特に検討をしておらず、結論に影響を及ぼしていません。
最終的にゴーストライターを含めた共同著作物であると判断しています。
したがって、仮にこのような契約があったとしても、それを理由に「新垣氏に著作権は一切無い」と主張するのは厳しいと思います。