試験結果を受けて

昨日は自分も合格発表でそわそわしていました。
たまたま出張でしたが、新幹線の中で数秒おき位に(笑)、何度もTwitterを更新して確認していました。

自分が積極的にTwitterや質問等で積極的にやり取りをしている受講生さんは、割と合格してくれていたので一安心でした(ただ、当然納得している結果では有りません!)。
いつも見ていて思いますが、割と短答試験後から勉強を初めても受かるときは受かるものだと思っています。よく「論文試験の勉強をしておかないと」という意見も見ますが、自分は「短答試験の勉強方法」さえ間違え無ければ論文も対応出来ると思っています。

あとは、口述試験に突破して頂ければと思います。


さて、残念ながら番号が無かった方。
言葉にならなかったと思います・・・
ショックを受けている中での受験仲間の合格報告。
仲間の合格は嬉しいですが、それも心から喜べるのは自分も合格していた場合の話。

なんで自分は受からなかったのか?
自分に足りなかったことは何なのか?
色々悩んでしまうと思います。

悔しい!羨ましい!

それはちゃんと勉強してきたから感じる事です。
昨日、今日。落ち込んで、泣いて・・・良いのではないでしょうか。
この悔しい、羨ましいという気持ちの大きさが来年の合格に繋がるのです。

ただ、短答試験の時期と異なり、論文試験の発表後はあまり時間がありません。
弁理士試験を続ける以上、来年に向けて走り出さなければなりません。

弁理士試験に向いていないのではないか。」
「どうやっても受からないのではないか。」

もし、そう感じるなら・・・きっと短答組が黙っていません。
一度でも「短答試験に合格してる」のですから。

弁理士試験を目指そうと思った理由は何でしょうか?
きっと弁理士として一生の仕事にして行こうと思ったのではないでしょうか。
資格試験で人生の軌道修正をする必要があるのでしょうか?

ここは、信じて進むしか有りません。

合格した受講生も嬉しいですが、自分としてはダメだった人の方が気になります。
そうはいっても、今までも途中で弁理士試験の勉強を諦めてしまった人がたくさんいます。そのたびに申し訳無かったと思っています。

自分は昔中学受験の指導をしていました。
中学受験も合否の結果が出ます。
相手が小学生ですから、その結果はもっと残酷です。
そして、中学受験は1回しか出来ません。
失敗したら次はないのです。

それに比べて弁理士試験は「次」があります。
合格するまで受験すれば、いつかは合格できるのが資格試験です。

人生長い中の1年ではないですか。
人間万事塞翁が馬
きっと何か意味があるのです。

徳川家康武田信玄三方ヶ原の戦いで敗れてしまったとき。
この敗北を忘れないため、戒めとして絵を描かせたという逸話があります。
この悔しさをバネに後年天下を取るわけです。

みなさんも同じでしょう。
多分1年間で昨日一番悔しい日だったのです。
この思いを何か形に残し、一年間その悔しさをバネに頑張っていきましょう。